ー上野村慰霊式典で遺族、参加者に配布した最終報告書ー
*事故から、33年経過しても、未だ「日航機事故の墜落の事故原因は 不明」のままだ !! そして、警察、政府も航空局も 検察も意図的に黙認し放置している !!
@現時点での判明した事故の真実、結論は次の通りである。
*事故調査委員会が 事故後2年 事故報告書で「修理ミスの隔壁が破壊し、機内空気の
流出で垂直尾翼を破壊し、123便は操縦不能で墜落した」との結論を出した。
遺族会は この結論に基づき、告訴したが 前橋地検は{隔壁は破壊されていない}として「修理ミスのボーイング社」「点検ミスの日航」「検収ミスの航空局」の三者を何れも「不起訴」判断を行った。
即ち 三者は「加害者でない」「無罪」が確定している。
*垂直尾翼は「隔壁破壊」でなく、外部からの衝突による:即ち 外部からの衝突:自衛隊
標的機の衝突であり、自衛隊百里基地司令官、日航が 外部破壊だと告白証言している。
*「隔壁破壊説」が司法で否定されたが、事故調、航空局(政府)、群馬県警は再調査、捜
査の行動を28年間、起こしていない。⇒ それは 123便墜落事件に「自衛隊、政府が
主導し関与している」からである。⇒ その上 政府は完全「隠蔽」謀略を行って来た
*垂直尾翼、油圧を失った123便は機長のエンジン操作での操縦で、飛行出来、事故調も
日航もボーイング社も認めている。事故機は横田基地に接近し機長は「横田基地に緊急着
陸したい」(524人の命乞い)と無線で要請し、横田基地は「緊急着陸を許可する」と
回答。⇒ 123便は横田に着陸出来た!! ⇒ アントヌッチ中尉の衝撃の告白証言
*この緊急着陸が実行しておれば、多くの乗客乗員は助かっていたのであるが 然し、123
便は着陸出来なかった⇒ それは自衛隊が禁止し 妨害したからだ(意図的殺人罪)
*更に123便は川上村レタス畑への不時着も敢行した⇒123便が操縦飛行出来た証である。
*上野村山岳地帯で、自衛隊は123便をミサイルで撃墜して、乗客520名を殺害した。
中曽根総理、自衛隊幕僚長は、自衛隊の不祥事を完全に隠蔽して責任回避、自己保身の
ため乗客乗員(証人)の口封じを行った。国の国民を標的にしたテロ共謀謀略であった。
⇒ 日航の役員は 12日の夜、遺族に「このミサイル撃墜」を告白し説明している。
*自衛隊、群馬県警は捜索、救助を不作為し、生存者を火炎放射機、毒ガスで殺害した。
*日航は事故から、1カ月後に事故原因不明にも拘わらず、遺族に補償交渉を提起し、遺族
の90%が 応じた。 ⇒ ボーイング社、NTSBは「日航は墜落の責任がないとしなが
ら、遺族に補償交渉を提起した」とTVで公言し、日航の謀略を告白証言した。
*加害者でない日航は被害者遺族に補償金を支払ったとされているが、これは 法的に、
社会常識、通念では 補償金ではない。最近日航は「支払った金は日航のお見舞い金、
一時金」であると文書で説明している。日航幹部は遺族、国民、保険会社を騙し、その上、
日航株主の金を横領した背任罪を極秘裏に犯し、32年間遺族国民を騙し続けて来た。
日航は、33年間「加害者だ」と宣言し、嘘の「隔壁破壊説」を宣伝し続けている。
@日航123便の墜落は自衛隊の標的機が衝突したのが端緒であり、この隠蔽のために中曽根総理、自衛隊幕僚長の共同謀議による123便全員の殺害を実行した殺人事件である。
その上 総理の指示で航空局、日航、事故調が事故の真実を隠蔽した事件から構成される
(注)以上の内容は、全ての証拠、資料に基づき、且つ事故調、航空局、日航との議論検証して、且つ有識者の見解を纏めたもの。科学的な調査で、この結論は真実である。詳細は
本「524人の命乞い-日航機乗客乗員怪死の謎」(文芸社)に記載。(文責 小田周二)