- 事故原因報告書の目的は、墜落の事故原因を明確にすることであるが、事故調の事故報告書には「墜落の原因が明確に記載されていない」。国の公式の報告書としての資格はない。
- 123便は「操縦不能で墜落した」との暗示をしているが事故調は「操縦に難がある」が「飛行の継続が出来た」と結論している。「飛行出来た」ことは旋回、上昇、降下飛行が出来た結果であり、操縦出来たことに相当する。この事項でも説明不能の矛盾である。
- 日航123便は油圧操が不可になった後、機長らは「エンジン出力の調整で手動操縦を行っている。然し 報告書には この「エンジン出力調整での操縦」についての記述がない。事故機は 操縦不能との暗示を仄めかすが、油圧破壊後の操縦性、飛行性についての調査、検証を行い記載していない。
- 目撃証言、乗客の体験証言は操縦席のボイスレコーダーと同じ重要な証拠である。然し、事故報告書では この証言を一切無視して、調査を行い、科学的、技術的に理解出来ない疑惑の結論を引き出している。
- 事故調の「隔壁破壊説」は、生還者::落合由美氏の証言で否定されるものである。垂直尾翼の破壊の原因は隔壁破壊が原因でなく、事実上、技術的な矛盾は明解である。
- 多数の乗客を乗せた旅客機に異常事態が生じた場合、至急。最寄りの飛行場に緊急着陸するのが鉄則である。それは多数の乗客の命を助ける唯一の手段なのであるからだ。然るにエンジン出力の調整で操縦出来たにも拘わらず、着陸についても記述がないのは 不可解で理解出来ない。横田基地へは 10kmの至近距離まで接近し、アントヌッチ中尉は横田と事故機の無線を傍受して「高濱機長は 横田に着陸を申請し、横田は許可した」と告白している。然し、事故調は「安全な着陸は不可能であった」として、切り捨てている。多少の操縦性に問題があっても多くの事例では機長は着陸を敢行し、多くの乗客の命を助けている。掛かる事故調の結論は 合理的に理解出来ない矛盾である。機長らは 「座して 死を待つ」の愚を、 決断をする筈はない。乗客の命だけでなく、機長自身の命も助けたいのは 当然であるからだ。
- 事故当日のアントヌッチ中尉らの「横田基地への着陸段階無線傍受」「墜落場所での救出活動」などは 政府、救出対策本部、自衛隊は熟知していた筈である。政府関係部署から、横田基地司令官への「救出活動の中止、撤退、口止め、緘口令」などを要請しており、生存者の見殺し行為を公然と行ったのである。勿論事故調も知っていた筈で、然し、国の事故調査の下部組織として、報告書に記載出来なかったのである。事故調は 政府、自衛隊への忖度で行ったのか、それとも政府筋からの命令、指示で隠蔽したのかは、論ずる必要性は全くない。アントヌッチ中尉の告白で生存者救助の遅れの言い訳は、全くの嘘であったことが判明したが、自衛隊は一切説明責任を果たしていない。それは 出来ないんである。
- 事故調は、1999 日航機墜落事故の全資料を廃棄するとの驚愕の暴挙を行った。この暴挙は その直前に「情報公開法」は制定され、その施行開始の直前に重要な日航機事故の資料を廃棄したことは、情報公開法の趣旨に反する違法行為であり、公文書廃棄との犯罪でもある。更に墜落事故の真実を隠蔽するためで、再調査を妨害する意図は明らかである。掛かる事故調の暴挙は、事故報告書は嘘であり、調査資料を廃棄してこの嘘の報告書を守ることであることを自ら自白する行為に相当する。
- 事故調査委員会の後継である運輸安全委員会は 2011.7 に遺族だけを集めて、事故原因である「嘘の隔壁破壊説」を詳しく説明するとの「解説集会」を開催した。この集会の前、1年前から、遺族会の中心幹部らを招聘して、その資料作りに参加させ、嘘の仮説を吹き込み、洗脳したのである。この解説集会の資料には、隔壁破壊説には大きな矛盾、疑惑があることを認める文言が入っている。それまで遺族会:「8.12連絡会」は「事故原因の徹底究明」の方針であったが、この集会の後は、事故原因究明の方針を変換して、慰霊中心の会になったとの経緯なのである。
- 日航機墜落事故の原因を事故調は「隔壁破壊説」だと公式に発表した。この結論に基づき、群馬県警、遺族は「隔壁の修理ミスのボーイング社」「修理ミスの隔壁の点検ミスの日航」「修理ミスの隔壁の検収ミスの航空局」の三者を告訴した。然し、事故から 5年後に前橋地検は この三者を不起訴判断して、無罪にした。日航、航空局はその後 25年間も「加害者だ」との言動を公然として行った。 事故から30年間、日航は役員全員、航空局は 10名もの幹部が出席して、加害者の擬態を演じ、国民、遺族を騙して来た。然し、2015.8 上野村慰霊式で、航空局の幹部は 遺族に対し、「航空局は加害者だ」と回答したが、東京霞が関の航空局での面談では、一転して「航空局は 前橋地検の不起訴判断で 無罪が確定している」と告白し「隔壁は破壊しなかった」と認めた。日航の点検ミスも関係なく、当然主犯とされたボーイング社も無罪となり、補償金、慰霊の園建立費用も支払っていない。隔壁の修理ミスも疑わしいと前橋地検は指摘している。日航も事故直後に遺族に補償交渉を提起し、金を支払ったが、その後、運航会社としての「一時的なお見舞い金」だと訂正し、上野村「慰霊の園」の建設費も寄付金だと告白している。ここに、事故調の結論である「隔壁破壊説」は崩壊したのである。航空行政を司る「航空局」は空の安全確保が第一の目的であるが、隔壁破壊説が崩壊したにも拘わらず、その後 25年間も放置した行政責任を問われる事態に、そして意図的に放置したことに 遺族の怒りは極限にある。
- 事故調査委員会の結論である「隔壁破壊説」は前橋地検が否定し、司法で無罪が確定していると 30年後、航空局は遺族に断言し、文書で回答した。 事故調の後継である運輸安全委員会は、この崩壊した隔壁破壊説を遺族に解説し、空気速度分布を仮定の話で信じ込ませると言う卑劣な手段で遺族を騙すことに成功している。遺族小田は、出版本「日航123便墜落事故 真実と真相」「524人の命乞い」を基に、安全委員会に2016.4 に 墜落事故での事故調結論の矛盾を指摘し、前橋地検の不起訴判断による「隔壁破壊説」の崩壊と自衛隊、総理のテロ攻撃による墜落であるとの公開質問状を提出したが、説明責任がある安全委員会は これを一切無視し、回答はない。その後何度も催促したが全くの無視である。更に、航空局との面談の時に、公開質問状を提出したが、同じく無視で 一切回答はない。何度催促しても 無視が続いている。航空局は 事故原因関係については、安全委員会に相談するようにとの回答を得たが、外局の安全委員会は 内局の航空局の指示にも拘わらず、一切 応じようとしていない。その後、慰霊式典で航空局幹部と面談したが、苦し紛れの応答だけで、東京に帰ってのメールでの要求にも拘わらず、返信応答すら拒否する次第である。このように「航空局」「安全員会」は同根であり、この対応は示し合わせての回答で、公開質問状には回答出来ない事態であり、(「隔壁破壊説」は間違っている)との自供なのである。告訴されたボーイング社は 当初から、加害者であることを否定しており、前橋地検の不起訴判断で、無罪を勝ち取り、以降 遺族の前にその姿を現したことはない。告訴された日航は、事故直後から、加害者だとの言動を行い、遺族に取り入り、事故後 1ヵ月で 事故原因が不明の段階で遺族に補償交渉を提起して来た。2年後、前橋地検の不起訴判断で無罪になっても、公然と補償交渉を続けた。更に上野村の慰霊設備を建設する時には、10億円を拠出している。その上、嘘の事故原因である「隔壁破壊説」を日航の安全啓発センターと上野村の慰霊設備の展示棟で、公開し宣伝するとの活動を行い、遺族、国民を騙し続けている。日航とは、運航会社として、且つ加害会社として、遺族小田は 最初は文書による質疑を行っていたが、5年前から 直接面談し技術会議を開催し質疑応答にて、事故原因の究明を行って来た。(開催頻度 2ヵ月に 1回、既に 十数回の会議を開催)隔壁破壊説」を信奉する日航に遺族小田が外部破壊と自衛隊ミサイル攻撃による墜落の「仮説―X」にて、技術討議を行って来た。日航は、事故調の結論を信頼しており、事故調の結論の疑惑、矛盾を指摘し、問題点について議論したが、合理的に説明し切れないのである。更に 多くの目撃証言での議論では、全く噛み合わず、議論出来ないのである。事故調と日航は、調査の証拠として 「CVR」[DFDR]「残骸」のみを採用していると豪語し、重要な「目撃証言、体験証言、関係者証言」を無視しての結論だと言う、そこには事故調査の原則を無視して、間違った結論に至ったことの自覚もなく、前橋地検が不起訴判断して「無罪」にしたのは当然のことなのである。
以上の経緯を見ても 事故調査員会の報告書には顕著な矛盾、疑惑があること、更にこの嘘を守るために、驚愕の暴挙を
行って、嘘の「隔壁破壊説」を必死に守っていることが明確に判断出来る。現在 国会で「森友」「家計」学園の隠蔽、
忖度事件が審査されているが、権力者が公務員を巻き込んでの疑惑、法的違法、民主主義の根幹を破壊することが権力者の
自己保身、権力維持は 今もなお 続いていることが証明されたのである。